雑学

行司が土俵内で動ける範囲は意外と狭い・・・

NHKで放送される大相撲の取り組み。

毎場所、千秋楽まで熱い戦いが繰り広げられますが、
その取り組みをジャッジしているのが
「行司」
と言う存在です。

他のスポーツで言う、いわゆる審判になるのですが、
決して自分が目立つわけでなく、物言いでも行司の裁定で
勝敗を付けられないなど、

他のスポーツでいう「主審」とはまた一線を画す審判となります。

目立たず厳かに相撲の取り組みを指揮する行司も定員は
45名。なりたくてなれる職業ではない、ということですね。

さて、テレビの大相撲中継を見ていると、この行司の動きに特徴があることが分かる
と思います。


それは、取り組みの様子をほぼ向こう正面の中で裁いているということ。

これには、きちんとした理由があって、手前正面には主賓が座っていることがならわし
のため、その方々にお尻を向けないように向こう正面に立つように
という規則になっているのです。

もちろん、戦っている力士同士はあちこちと移動するので、
それに合わせて行司も動きますが、
手前正面に回ることがあっても、すぐに向こう正面の半円内に戻るようになっているのです。


よくよく考えてみれば、テレビで観戦していても、行司が邪魔で取り組みが見えなかった、
ということはありませんもんね!


ガッツポーズってガッツ石松がポーズをとったから付いたの?

試合終了~!
勝利の瞬間、ガッツポーズを見せる選手達。

・・・・となるかどうか??

2014年のワールドカップグループリーグの対戦相手も決まり、
初戦はコートジボアール戦となりました。

他にもコロンビアやギリシャと同組となった日本ですが、
「死の組に入らなくて良かった~!」
という世論の楽観視とは違い、選手達は一様に引き締まったコメントを出していますね。


是非是非、勝利そして16強にはなんとか進んでほしいものです。


さて、勝利の瞬間に見せるガッツポーズや試合中の自分の良いプレーに思わず出てしまう
ガッツポーズ。


このガッツポーズって、何だかガッツ石松の顔が浮かんでくるんだけど、由来は何?


実は、ガッツ石松にも関係があるのですが、この名前の由来は、
ボーリング雑誌の「週刊ガッツボウル」がストライクを取った選手のポーズを
「ガッツポーズ」と披露したことが始まりとされています。


そして、その1年半後に行われた世界ライト級ボクシングの試合で勝利した
ガッツ石松が見せたポーズをスポーツ報知が
「ガッツポーズ」
と紹介したことで広まったのです。


ガッツポーズという言葉が広く浸透したのが、ガッツ石松の試合でのポーズ
だったことから、このボクシングの試合がった4月11日を
「ガッツポーズの日」
として認定しています。


一般的に、ガッツ石松のポーズとして知られているのは、このためでしょうね。


最初に「ガッツポーズ」と言う言葉を使ったのは、ボウリング雑誌だったのですが、
現在使われている派手なパフォーマンスという意味合いと少し違う使われ方だったので、
ボウリングから始まった言葉としては、あまり知られていないのです。


ただ、競技中にガッツポーズをとることは、あまり印象のよくないことのようで、
アメリカメジャーリーグでは、ホームラン後に派手なポーズをとった場合、
相手投手を侮辱したことになるそうです。


高跳びや幅跳びにあったおもしろいジャンプ方法とは?

走り幅跳びや棒高跳びと言えば、
とんでもない跳躍力や身体のバネを武器に、
世界でも名だたる選手達がその名を歴史に刻んできました。


オリンピックや世界陸上でも人気競技として、
毎回注目の高い競技でもありますね。


このジャンプ競技において、その昔、とてもおもしろい跳び方を
考案した方がいました。


まずは、カールルイス(ふるっ!)でもおなじみの走り幅跳び。
跳び方を考案した人は、アメリカ運動力学学者のトム・エッカー氏。
考案した跳び方は、その名も
「宙返り跳び」。


助走のスピードを生かして、踏み切り板でジャンプした後、
前方宙返りで着地する、というもの。

スピードに乗ると、人間の重心は前に行くことから
この跳び方が考案されたのだとか。


そうそう、うまく行くんかいな・・・・。


ところが、この跳び方に果敢にチャレンジした選手が続出し、
驚くことに記録が軒並み伸びてしまったのです。

でも、現在この宙返り跳びを行っている選手って
どの大会でも全く見ませんよね。


それもそのはずで、この宙返り跳びは考案された1974年と同じ年に
「あまりにも危険すぎる」
として、禁止されてしまったのです。


しかし、その理論は確かだったようで、もしこの跳び方が
一般化されていれば、走り幅跳びの標準記録がもう少し
上回っていたかもしれないですね。


続いて、棒高跳び。


この競技で使用するポールは、しなやかに曲がり、
競技者を宙高くに運んでくれるイメージがありますね。


ところが、100年以上も昔に行われていた棒高跳びでは、
ポールは木製の物を使用していました。

現在のグラスファイバー製のポールよりも重く、
助走のスピードもものすごく遅かったのです。


そこで、考案された跳び方が、
「ポールよじ登り跳び」。

木製のポールのため垂直になるまでの時間が長く、
その時間を利用して、ポールを登ってしまおう
と言う方法。


今となっては笑える跳び方ですが、
これもある理由で跳び方が禁止となりました。


それは・・・


普通の跳び方をしていた選手が、ポールよじ登り跳びを行う
選手に勝てなくなってしまったからだそうです。


現代の棒高跳びでは絶対に通用しない跳び方ですが、
当時は、研究に研究を重ねた結果に生まれた
最良の跳び方だったんでしょうね。


ホームチームは1塁側ベンチへ・・・というのは古い話?!

初めてプロ野球の球団が北海道にやってきたのは2004年の頃。
それまで東京ドームを読売ジャイアンツと同じホームグランドとしていた
「北海道日本ハムファイターズ」

それまで、北海道民は”ジャイアンツファン”が圧倒的に多かったのですが、
球団の経営努力もあって、”北海道にファイターズあり”というぐらい
日本ハムファイターズを北海道内に根付かせました。


さて、そんな北海道日本ハムファイターズには、プロ野球の歴史で初めて行ったことがあります。


・・・そうなんです、本拠地である札幌ドーム主催ゲームで3塁側をホームとした
初の球団なんです。


まず、規則として特に「ホームゲームでホームが1塁側ベンチを使わなければならない、
ということはない」ので、1塁側、3塁側どちらを使おうと自由です。


そして、日本ハムファイターズには3塁側をホームとした方が都合がいいことが多いのです。

まず、サッカーの試合も行われる札幌ドームでは、3塁側ベンチの位置がホームチームの設備として
十分に整っていた、と言う理由があります。

さらに、観客の立場で考えると、3塁側の出入口から出入りする方が、国道や地下鉄へのアクセスに
利便性があったのですね。

後は、ライト側にあるスコアボードの位置が3塁側からの方が
見やすい、というのも理由の一つとなりました。


つまり、ホームチームやチームを応援するお客さんの環境を考えた時に、
総合的に利便性があったのは3塁側だった、ということなのです。


元々、各球場とも1塁側にホームチームの設備などを充実させていたために、
ホームチームが1塁側を陣取る、と言う構図が出来上がっていましたが、
日本ハムファイターズのように、3塁側をホームとしても別におかしなことでは
ないわけです。


現在では、東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズがホームゲームで3塁側
ベンチを使用している球団になりますが、セ・リーグではまだ3塁側をホームとしている
球団はないようですね。


マンガ「AKIRA」では2020年のオリンピックを予想していた?!

このサイトで何度も出てくる
「2020年の夏期東京オリンピック」
の話題。


今(2013年現在)となっては、もうちょい先のお話しであるこの
東京オリンピック開催。


ところが、何十年も前に「2020年に東京オリンピックが開催される」
ことを予言していたマンガがある、と言うのです。


そのマンガこそ、週刊ヤングマガジンに連載されていた
「AKIRA」。

1982年に連載が開始された近未来の「ネオ東京」で繰り広げられる
SFマンガだったのですが、
舞台設定はなんと2019年。
そして、「翌年2020年には東京オリンピックが開催される予定である」という設定なのです。
(※マンガでは、本来の東京は旧市街となって再開発地域となっていますが・・・)


1982年連載というと、2020年のことなんて相当未来だったはず。
なにしろ40年も前ですから。


しかも、この1982年当時であれば1964年の東京オリンピックの方がまだ近いのです!

そんな頃に、40年後もう一度東京でオリンピックが開催されるという設定にされたのは
“驚愕”の一言に尽きますね。

“この件は偶然だ”ということなんですが、
あまりにもピッタリと当てはまってしまったので、
ネット上でも結構話題になっていましたね。


連載は8年で終わってしまったんですが、映画化やゲーム化もされ、
コアなファン層を持つこの「AKIRA」

コミックスは全6巻!
一足お先に2020年の東京オリンピック開催前の東京を見てみましょうか!


オリンピックのマラソンで優勝した直後に失格になった選手がいる?!

時は、1904年。
アメリカのセントルイスで開催された第三回オリンピック。

この年のマラソン競技で、金メダルを獲得したにもかかわらず、
表彰式の最中に失格処分を受けた選手がいる、という記録が残っているんです。


選手の名は、「フレッド・ローツ」。
ニューヨーク出身の彼は、日中は職人として働きながら夜間トレーニングでオリンピック出場
を決めた苦労人でした。


マラソン競技当日は、気温が30度を超える猛暑で、結果完走できた選手は
半数程しかいなかったそうです。


ローツも同様、競技場を出発した後15キロ地点で、脱水症状などにより走ることが できなくなってしまいました。

たまたま通りかかった応援の車に乗せてもらい競技場に戻ろうと思ったローツ。
ところが、この車が18キロほど走った競技場目前の地点で、なんと ”エンスト”
により止まってしまったのです。


すると、ローツは車から飛び出した後、そのまま競技場に向かって
走り出し、3時間13分というタイムで優勝してしまいました。


その後の表彰式も何食わぬ顔で壇上に立ち、当時のセオドア・ルーズベルト大統領の令嬢
からオリーブ冠を授かろうとした瞬間、
車の持ち主の告発により不正がばれ、ローツは失格処分となってしまったのです。


AAU(アメリカ最大のボランティアスポーツ組織)は、競技会への永久出場停止処分
としてローツを罰したのですが、本人からの謝罪をすぐに受け入れ、
ローツは、翌年のボストンマラソンには早くも復帰しました。


その時の記録は、2時間38分で優勝!

不正をしなくても、立派な記録を出せることを証明したことになりますね。


MLBには不名誉な呼ばれ方をする選手がいた!

「メジャーリーグベースボール(MLB)」

と言えば、かつては村上投手や野茂投手、現在ではイチロー選手、松井選手など
日本人選手が活躍する場所として、私たちにも身近な存在に
なりましたよね。


このMLBでその昔、あるプレーによりその後、不名誉な呼ばれ方をするようになった
選手がいたのをご存じでしょうか?

その選手の名前は、今では珍しいノルウェー出身の外野手 「ジョン・アンダーソン」
です。

スイッチヒッターの足の速い選手としてその名を馳せた人気選手でした!


まだMLBが1リーグ制の時には、
毎年打っては3割、走っては30盗塁を決めるスター選手だったアンダーソン。


1901年にアメリカン・リーグが発足すると、以降は引退までの8年間
アメリカン・リーグでプレーをしました。


非常に明るい性格で元気な選手だったのですが、この元気さが災いし、
プロの選手とは思えないようなプレーをやらかしてしまうんですね。

それも2年続けて・・・。


そのプレーが、なんと
「満塁の場面で、盗塁を試みた!」
こと。


1904年にこのありえない盗塁をやらかしてしまった翌年の1905年は最悪でした。


場面は1点差で迎えた9回2アウト満塁。
1塁ランナーだったアンダーソンは、ピッチャーが投げた後、
何の迷いもなく2塁にスライディングしたのです・・・。


もちろん、結果はアンダーソンがタッチされてスリーアウト。
味方も敵も唖然とする中、試合は終了しました(笑)


当のアンダーソンは、2塁に滑り込んでから満塁だったことに気づいたとか。

その後のMLBでは、前年にも同じプレーをしているアンダーソンの名前を取って、
凡ヘッドをやらかしたプレーヤーのことを、
「ジョン・アンダーソンだ」
と揶揄するようになってしまったのです・・・。


メジャーリーグでホントにあった恐るべきトレードとは?!

プロ野球シーズンも、日本シリーズが終了するとFAやトレードの話題で
盛り上がりますよね。

今年は、誰がメジャーに行くのか?
国内に移籍するFA選手の目玉は?
外国からやってくる超大物選手!!

のような文字が新聞からインターネットまで至るところで
踊るようになります。


メジャーリーグでは、2013年シーズンのイチロー選手のように、
前日までシアトルマリナーズに所属してニューヨークヤンキースと戦っていた選手が、
次の日には、その対戦相手であるニューヨークヤンキースのプレーヤーになっていた

という話も少なくありません。


さて、そんなメジャーリーグの世界では、かつてこんなトレードもあったのだとか!

1972年のシーズン中、ニューヨークヤンキースの投手であるフリッツ・ピーターソンは、
同僚のマイク・ケキッチ投手とトレードとなりました。


???


同じチームでトレードってどういうこと?
となりますよね。

実は、この2人、奥さんと子供とペットを取り替えたのです!


この両投手、それぞれ2人の子供がいたのですが、上の子供とペットを連れて
違う奥さんの元へと走ってしまった、ということです(笑)


噂では、フリッツ・ピーターソンがイケメンで、マイク・ケキッチの奥さんが
べっぴんさんだった、
そして、マイク・ケキッチが冴えなくて、フリッツ・ピーターソンの奥さんがぱっとしなかった

ということで、組み合わさるべきように組み合わさったと思われたようですが、
数ヶ月後にあっさり破綻となったようです(笑)


そして、傷心(?)したマイク・ケキッチは1974年、当時前後期制だった日本プロ野球界へとやって来ました。
後期から日本ハムファイターズに入団したのですが、成績はさっぱり!

後期だけ戦って、あえなく帰国の途につきました。


日本初のプロ野球選手は日本のプロリーグ発足前に存在していた!

日本人初のプロ野球選手は誰だ??
と言う話を「やりすぎ都市伝説」という番組でやってたもんですからね。

ちょっとまとめてみたんですよ。


「日本初のプロ野球選手は日本のプロリーグ発足前に存在していた!」


ジャップ・ミカドという選手がいて、おそらくこの方が
日本人で最初のプロ野球選手という話は前に聞いたことがあったんです。

でも、自分の所属したチームが今で言うメジャーリーグの中でも興業的な
役割を果たしていたり、その後この三神さんが全くプロ野球に関心を
もたなかったことなどは、全く知りませんでしたね~。


先駆者的な役割を果たしていたにも関わらず、そのアメリカでの野球生活の
詳細をご家族にも話さなかったんですから、
よほど職業として行う野球に疑問を持っていたんでしょうね。


そんなサーカス的な役割を求められていたにも関わらず、全力で披露したプレー
がアメリカでも話題になり、それが記憶となって、後生の日本での研究
の一助となったのですから、

日本で野球を教わるときに必ず出てくる”全力プレー”というのは、
やはり素晴らしいことなんだと思いましたよ。


それでは、また次回!!


「巨人戦がドル箱」は昔の話~多様化するプロ野球中継の今~

WBCがあったせいか、その余韻が冷め切らないうちに始まった感のある
2013年のプロ野球ペナントレースですが・・・

今年は、BS/CSの衛星放送でのパ・リーグ3チームのプロ野球放映権をあの映画配信で
有名なFOXが結構な高値で購入したようです。


今の時代、テレビのみならずインターネット回線があれば、パソコンやタブレットでも
試合を見ることが出来るようになりましたし、ジャイアンツ戦以外でもリアルタイム
で見ることが出来るようになりました。


FOXなんかは、製作する番組の雰囲気にメジャーリーグを思いっきり出していて
日本のスポーツ番組とは一線を画しているように見えますね。

プロ野球中継が始まる30分前に番組枠を取って、
野球の試合を楽しんで見ることが出来るように解説する番組を別に作るあたりは、
”さすが”
と言えるかもしれません。


「「巨人戦がドル箱」は昔の話~多様化するプロ野球中継の今~」


では、そんなプロ野球中継の放映の今を調べてみました。

まぁ、昔と違って、テレビがないと野球を見れないこともないですし、
どうあっても、巨人戦しか見ることが出来ない、ということもないです。

好きな球団の試合は地上波なり、衛星放送なり、またまたインターネット配信なり
色んな方法で見られる可能性があります。

インターネットに慣れているとはいえ、特に50代、60代の年配の方々には、
巨人戦以外でも、テレビ以外でもプロ野球の試合を見ることが出来る、ということは
教えてあげたいですね。


・・・・・でも、この年代は巨人ファンが多いので巨人戦が見られれば
満足な人が多いかも(汗)


「「巨人戦がドル箱」は昔の話~多様化するプロ野球中継の今~」


それでは、また次回!!